これまで見てきたとおり、「The Native Speaker Fallacy」は広く浸透しており、その結果ノンネイティブ英語教師にとって非常に不利な状況を作り出し、英語教育に数々の望ましくない影響を与えています。
しかしながら近年、ノンネイティブ、ネイティブ双方の教師、研究者がこの「The Native Speaker Fallacy」に疑いを持ち、ノンネイティブ英語教師のポジティブな面に注意を向け始めています。
このセクションでは、研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みについて考察していきます。
はじめに確認しておくことが一点あります。
大まかに言って、ノンネイティブ英語教師が教える状況には二種類あります。ひとつは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドのような英語圏の国で、世界各国からの生徒からなる多言語のクラスを教える場合です。もうひとつは、自分の国で自国の生徒を教える場合です。
一つ目のケースは比較的まれです。というのは、ノンネイティブ英語教師が英語圏で教えるためには非常に高い英語力が必要とされ、さらに、高い英語力を持つノンネイティブ英語教師でさえも英語圏で職を得ることは大変難しいからです。
二つ目のケースはずっと一般的なものです。そのような状況では、教師は生徒と同じ文化的バックグラウンド、教育的バックグラウンド、そして言語を共有しており、そのことがノンネイティブ英語教師にとって大きな強みとなり得るのです。
したがって、これら二つのケースははっきり区別して考えられなければなりません。
では、研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みの考察に入りましょう。
Thomasは、ノンネイティブ英語教師は生徒が模倣するロールモデル(お手本)になることができると主張しています。
ノンネイティブ英語教師は英語学習の成功者の生の見本であるので、彼らはどうやって英語学習で成功できるかを学習者に実際に示すことができるのです。
CookはThomasのこの考えにさらに考察を加えています。彼女は次のように述べています。
ノンネイティブ英語教師は決して英語のネイティブになることはできず、また学習者もどれほどの努力をしてもネイティブにはなれない。英語教育が行わなければならないのは、この事実を学習者に理解させることである。そして、学習者がノンネイティブ英語教師を肯定的に考えるように教育することである。
つまり、ノンネイティブ英語教師とはネイティブになることに失敗した英語話者ではなく、ネイティブのようでなくても現実に使える英語をマスターした第二言語話者であり、学習者が目標にするべき現実的な目標を体現している存在なのだと。
Canagarajahは、ノンネイティブ英語教師が自らの学習経験を通じで手にした、英語に関する深い知識の重要性を指摘しています。
ノンネイティブ英語教師は母語と英語の両方の能力を持っています。そして、複数の言葉に通じることは深い言語学的知識を得ることにつながり、言葉の複雑さをよく理解することになります。
したがって、ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師と比べてより深く英文法を理解していると言えます。
同じようにMattosは、生徒の母語と英語の両方に精通していることはノンネイティブ英語教師の強みであると言っています。
なぜなら、例えば生徒の母語の文法と英文法を比較することによって、生徒が新しい文法を学ぶときに遭遇する困難さを緩和することができるからです。
Astorは、教師が持つ英文法の知識を二つのタイプに分けて考察しています。「直感的な」文法知識と「意識的な」文法知識です。
英語のネイティブ話者は、ある文が文法的に正しいかどうかを直感的に判断する能力を持っています。これが「直感的な」文法知識です。
しかし、そのような直感的な文法力だけではよい語学教師にはなれません。英語を教えるためには英文法を意識的に理解している必要があり、それゆえ教師になるためには言語学的な教育を受けることが必要だと彼は主張しています。
彼は多くのネイティブ英語教師が、「The book is on the table」と「There is a book on the table」のような基本的な構文の違いを説明できないのを見てきたと言います。
RevesやMedgyesは、ノンネイティブ英語教師には語学教師としての資格保有者が多く、英語教育により熱意を持って取り組んでいる場合が多いとしています。
またMattosは、一方で数多くのネイティブ話者が、英語教授法のトレーニングを受けたり、資格を取得したりすることをまったくせず教えていると述べています。
そのようなネイティブ英語教師は本当の意味の「教師」ではなく、単なる英語のネイティブ話者であり、したがって英文法について少ししか知っておらず、英語教授法についてまったく無知ということも多いのです。
Medgyesは、彼らにとって英語教育は生活の糧を得る一時的な手段に過ぎず、世界中で教えている多くのこのような資格のないネイティブ話者によって、プロフェッショナルな専門職としての英語教育のレベルが低められ、害されていると述べています。
Canagarajahは、ノンネイティブ英語教師は自国の生徒をより深く理解していると言っています。
生徒と母語を共有しているような場合、ノンネイティブ英語教師は自分たちの生徒が何を必要としているのか、普段どんな方法で学習するのか、生徒が日常のどんな場面で英語を使うのか、などについてよりよく理解しています。
それゆえ、ノンネイティブ英語教師はより効果的に教えることが可能です。
Canagarajahはこうした理由から、“周辺”諸国の英語教育は、ネイティブ英語教師ではなくその国、地域のノンネイティブ英語教師が主導するべきだと主張しています。
ポルトガルの教師であるBennettも、ノンネイティブ英語教師が生徒のニーズをよく理解していることの重要性についてコメントしています。
ポルトガルの生徒が本当に必要としていることは、英語を通じてイギリスの文化を学ぶことなどではなく、英語という外国語で自分たち自身の世界についてどうやって話すかを学ぶことです。別の言い方をすれば、生徒たちは英語によって自分たち自身の世界についての意見や見方を表現できるようになりたいのであり、イギリス文化の視点から自分たちの世界観を見ることを学びたいわけではないのです。
ノンネイティブ英語教師は生徒と文化的バックグラウンドを共有しているため、このことをよりよく理解していると考えられます。その一方、ネイティブ英語教師はイギリス文化の特色を強調することに熱心になってしまい、生徒が本当に表現したいことを「それは英語ではありません」と切り捨ててしまいがちです。
それゆえBennettは、同じ文化的バックグラウンドを持つ生徒を教える場合、ノンネイティブ英語教師はネイティブ英語教師よりずっと優れていると主張しています。
GillとRebrovaは、スロバキアでは「何をどう教えられたいのか」を巡って、生徒の考え方と、“中心”諸国からのネイティブ英語教師の考え方に大きなギャップがあると報告しています。
例えば、生徒は文法、読解などの伝統的な教え方により慣れており、ペアワーク、グループワーク、ロールプレイなどに不慣れなため、そのようなアクティビティを受け入れるのを難しいと感じるそうです。
また、生徒は教師がもっと頻繁に間違いを直してくれることを望んでおり、より多くの文法を教えて欲しいと考えています。
GillとRebrovaは、教師がこのような生徒の要望を無視することは危険であり、ノンネイティブ英語教師ならばそのようなことはないだろうと述べています。
Tangは、ノンネイティブ英語教師が生徒の生活する地域社会を理解していることは重要な強みであるとしています。彼らはそれぞれの地域社会の教育カリキュラム、試験のシステム、学校の運営方式などに精通しています。
また、ネイティブ英語教師の英語が理解できない初級者や、学習能力の弱い生徒の気持ちにもより共感的です。
同じようにGillとRebrovaは、その地域の社会システムをよく知っていることはノンネイティブ英語教師の利点であると主張しています。
ノンネイティブ英語教師は、その地域での教育がどのように、何を目的に行われるか理解しており、またどうやって同僚の教師や生徒とかかわればよいのかも分かっているのです。
ここまで、英語教育の専門家たちが見出したノンネイティブ英語教師の強みについて見てきました。
これらに加え、生徒の母語の使用は非常に大きな利点であると言われており、これまで多くの議論がなされてきました。
教室での母語使用はノンネイティブ英語教師の強みの中でも主要なものと考えられ、より大きな分野となるため、次に別のセクションを設けてこれについて見ていきます。
【論文】ネイティブ教師VSノンネイティブ教師(目次)
①ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師、どちらが優れているの?
ESL Learners’ Perceptions of Non-Native English Speaking Teachers
第1章・・・これまでの研究(抜粋)
⑥研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強み
第6章・・・結論と示唆(抜粋)