単語の意味を説明する際に母語を使うと分かりやすいというのは、母語使用の一つ目の明らかな利点です。このことは、抽象的な意味を持つ単語の場合にとくに顕著です。
教師がある単語の意味を多くの時間を割いて英語で説明しても、それがいったい生徒に正しく理解されているのかどうか分からないということがよくあります。そのような場合、単に母語で意味を与えるだけで、ただちにはっきりその意味を理解させることができます(Cole, Medgyes, Spratt)。
同じようにColeは、学習を容易にするために、生徒の母語での学習経験をうまく利用するべきだと主張しています。
例えば、もし生徒が「名詞」を母語で学んだことがあり、その概念を理解しているならば、「noun」という単語は英語で説明するより、母語で意味を与えたほうがずっと簡単なのです(「noun」は「名詞」のことだと日本語で伝えれば、それで理解できる)。
生徒がどのようなことを母語で学習しているのかを知っていれば、教師は生徒がすでに学習済みのことを二重に教えるのを避けることができるのです。
これらの主張は、生徒がすでに持っている知識をうまく利用することに関係しています。学習者の第一言語は、第一言語と第二言語の間に架ける橋となり、第二言語の理解に役立つことができるのです。
Yamamoto-Wilsonは、多くの学習者が第二言語学習に失敗する理由は、教師がうまく第二言語と母語との間に意味のある関連付けをしないからだとしています。
学習者、とくに初級者にとって語学学習はとてもハードなものです。そして「English only」の授業はとりわけストレスを与えるものになりかねません。生徒の母語はこのような場合に役立ちます。
母語は生徒をリラックスさせることができます(Burden, Cole)。あるいは学習者、中でも大人の生徒とティーンエイジャーの生徒に、「自分たちも知的で洗練された人間なんだ」ということを示す機会を与えます(Atkinson)。
*補足説明:ネイティブ教師に教わるとき、自分の英語力が未熟であるために言いたいことが言えず、そのため教師と対等に会話できず、一段下の人間になったような気分になることがあります。
Weschlerは、授業を分かりやすくし授業時間の短縮につながるため、母語は教室で使われるべきであると論じています。
彼は、一般的な英語コースの授業時間は、そこそこの英語力を身につけるのにさえ十分ではないと指摘しています。そして、もし教師が英語で授業をし、生徒がそれを理解しなければ、十分でない授業時間をなおさら無駄にすることになると述べています。
このように、教室内での生徒の母語使用には多くの利点がありますが、理想的な第一言語の使用方法についても多くの議論がなされています。
上述の研究者たちは、教える主要な手段は英語であり、母語の使用は最小限に抑えられるべきだとみな一様に考えています。
この考え方は、生徒が望む教えられ方とも一致しています。例えばMurahata and Murahataの研究によると、ある大学の日本人学生の英語学習者の大多数が、授業では教師(日本人教師とネイティブ教師の両方)にできる限り英語を使って欲しいと望んでいることが分かりました(日本人教師に対して81%の生徒が、ネイティブ教師に対して81%の生徒がそのように望んでいる)。
さらに上述の研究者たちは、母語の使用量は生徒の英語レベルが進むにしたがって次第に減らされるべきである、という点でも意見が一致しています。
どの場面で母語を使い、どの場面で使わないのかについては議論の余地があります。
母語は、(アクティビティなどの)インストラクションに、クラスのマネージメントに、文法の説明に、またはアクティビティの理由付け(なぜそのアクティビティをするのか)をするときに使うことができます。
しかし、「本物の」コミュニケーションが行われる場面では母語は使われるべきでないとする研究者もいます(Atkinson, Burden, Spratt)。
例えば教師が生徒に教室のドアを開けてほしいと頼むような場合、その教師は生徒と本物の意思のやり取りをしていることになります。このような現実のコミュニケーションの場面で、実際に第二言語によって意思を伝え合うことを通じて、学習者は多くのことを学びます。
さらに、母語の使い方をめぐる学習者側の要望は、教師側の認識とは異なっていることがよくあります。
Burdenは、どの場面で母語を使い、どの場面では使うべきでないのかについて、学習者の希望と教師の考えの間のギャップを調べました。
その結果、インストラクションや説明を与えるとき、生徒の理解を確認するとき、(雑談などで)コミュニケーションを取るとき、などの分野で違いが見つかり、そのような場面では、学習者の側が母語の使用をずっと少なくして欲しいと望んでいることが明らかになりました。
したがって、Atkinsonが指摘しているように、学習者の第一言語使用の“ちょうどよいバランス”や、完璧なお手本などは存在しないのです。
それはさまざまな要因、つまり生徒のレベル、それまでの学習経験、あるいはレッスンのどの段階なのか、などによって決まるものであり、よって教師はある状況で母語を使うことが正しいのかどうか、いつも自分自身に問い続けていなければならないのです。
しかしながら、もし適切な場面で適切な方法で使われるならば、母語は第二言語学習のための貴重な援助資源となりうるのです(Atkinson)。
最後に、ノンネイティブ英語教師だけでなくネイティブ英語教師も、もちろん生徒の第一言語を使用することから恩恵を受けることができます。
しかし、多くのネイティブ英語教師が生徒の第一言語の能力に欠けていることを考えると、第一言語使用の利点を得るという点ではノンネイティブ英語教師のほうがずっと有利な立場にあるといえます。
ここまでは、研究者、教師の考えるノンネイティブ英語教師の強みについて考察してきました。
次のセクションでは、ノンネイティブ英語教師の論争に関する実験的研究のひとつ、Medgyesの研究を検証します。
【論文】ネイティブ教師VSノンネイティブ教師(目次)
①ネイティブ英語教師とノンネイティブ英語教師、どちらが優れているの?
ESL Learners’ Perceptions of Non-Native English Speaking Teachers
第1章・・・これまでの研究(抜粋)
⑧第一言語を使用する利点
第6章・・・結論と示唆(抜粋)